21歳女性葬式でヤラカス
親戚が多くこれまでにたくさんのお葬式に行かせていただいた、21歳です。
これは私がまだ小学生だった頃の話。
親戚の方がなくなったのですが自宅から300㎞も離れた所が会場だったので子供ながら疲れていました。
いくらお葬式だといっても子供からしたら知らない親戚であるし、なかなか遠出もしないので正直なところワクワクしていました。
日帰りではなく宿泊ありの予定でしたので、すごく嬉しかったんです。
そしてホテルに着くと、子供が好きそうなおもちゃがたくさん並んでいますよね?私が駄々をこねるもんだから、音のなるケータイ電話を買ってもらったんです。
すごく嬉しくって離さず持っていました。
そしてお葬式会場へ。
小学生ながらもきちんと出席しました…がしかし何かの誤作動でポケットにきちんとしまっていたケータイ電話が突然「ピロリーン!電話だよ!」なんてなり始めてしまいました。
親は当然焦りますが、私もパニックになって頭真っ白になりました。
「やってしまった。
もう終わりだ」周りは見て見ぬふりをしてくれましたが、たった一人。
私ととても仲が良い親戚のおばさんが小学生相手に「あぁ、やったね○○ちゃん。
このあとお前さんも怖い怖いに連れていかれるねぇ」と笑いながら脅してきました。
それはもう恐怖でした。
嘘なんて信じないピュアな子でしたから本気で信じてしくしくと泣いた記憶があります。
まあ今思えばおばさんが面白くってからかってきたというのはわかるのですが(笑)私の親は当然私に対してこっぴどく怒りましたが、おばさんと私のやり取りを見てかそのあとは怒らなくなるばかりか、親戚のおばさんに「お前それ以上よせよ」とあきれた表情で話をしていました。
今思えばおばさんは私に対してそんなに怒られないようにと配慮してくれたのかなぁと思っています。
しかし今でもそれはトラウマで大切なことがあれば何が何でもケータイの電源は切るようにすると決めています(笑)
56歳女皆に慕われて逝った叔母は幸せな人生だったようです
56歳女専業主婦です4人家族、2人の子供がいますが、一人は独立しています。
夫の叔母にあたる方のお葬式に参列しました。
義父の実弟の奥さんになります。
9月のまだ残暑きびしい日に8月から具合が悪く入院していたところ、急逝されたということでした。
お通夜にも訪れ、告別式は夫に仕事があるため私一人で出席しました。
亡くなった叔母はとにかく優しく、気の利くかたで、我が家の義父母が亡くなって私一人で動揺してしまっているときも、励ましてくれながら、一緒に手伝ってくれました。
その叔母さんが、白い棺のなかで、眠っているなんて、現実とは思えません。
叔母さんにぴったりなイメージの淡いピンクや白、ワインレッドのコスモスが一杯に祭壇には飾られています。
その真ん中で、在りし日の叔母さんがにっこりと笑っている遺影が飾られています。
今にも声をかけてくれそうな生き生きとした笑顔です。
いつも、私たちと会うと「きやーたの?ゆっくりしてってー」と柔らかな声をかけてくれたものでした。
告別式が始まり、ひとしきり読経がおこなわれます。
その後、20歳になったお孫さんが、東京の音楽専門学校に行っているということで、自作の曲を電子ギターで披露してくれました。
若い彼ならの見送り方でしょう。
とても心がこもっている歌でした。
みな、しんみりとして聞き入っています。
歌い終わり、一人一人、線香をあげ、おりんを鳴らしおごそかに祈ります。
私も「何も分からない私にいろいろ手伝ってくれて本当にありがとうございました。
」と心のなかで、頭を下げます。
すべての方の最期のお参りが終わると、叔母さんの棺の中にコスモスを参列者みんなで入れてあげました。
色の白い叔母さんとコスモスはとてもよく似合ってきれいです。
少し叔母さんの顔が嬉しそうにもみえます。
そして、いよいよ出棺時刻が迫ってきました。
葬儀スタッフたちが、お棺を運ぼうとしますが、お嫁さんが泣いてお棺にとりすがっているので、なかなか動かせません。
マイクで何度も葬儀社の方々が促していましたが。
その姿は傍らから見ている私たちにも一層悲しさをつのらせます。
本当に皆に慕われていた方でした。
嫁姑のいざこざなど聞いたことがないほど、仲がよかったのです。
最期の時に人はどのような人生を送ってきたのかよくわかるといいますが、真実なのですね。
38歳女、葬式後にインフルエンザにかかりました
38歳の主婦です。
夫の祖母が亡くなった時の事です。
私達夫婦は夫の実家からはかなり離れた場所で暮らしていました。
そのため私は夫の両親とはそれなりに交流があったものの、夫の祖母とはほとんど交流をもったことがありませんでした。
また夫の祖母はここ数年は認知症を患っていたため、会いに行っても夫の事もわからないようでした。
そんな夫の祖母が急な病で亡くなり、私と夫は連絡をもらってすぐに病院に行きましたが、祖母は既に亡くなっていました。
夫の両親が手配をしてくれて、病院からすぐに葬儀場へ向かう事になり、私達夫婦もその葬儀場に向かいました。
本当はとても悲しくて、テキパキと色々な事ができる状態ではなかったと思いますが、家族みんなが悲しみを押し殺して作業をしているのがわかりました。
葬儀場に行ってから色々と式の段取りやこれからの事を話し合って、その日は夫の実家に泊まりました。
そして次の日また葬儀場へ向かいました。
そこで初めての体験をしました。
葬儀場の人達が夫の祖母の体を拭いて着替えさせていたのですが、その行為を少し手伝わせてもらいました。
今まで自分の祖父の葬式には出た事があったのですが、その時はそんな事はやりませんでした。
なので最初は体を拭いたりする事に緊張感がありましたが、やっているうちに祖母ときちんとお別れができているような気持ちになりました。
あまり夫の祖母とはきちんとお話をした事もなく疎遠になっていて、もっとちょくちょく会いに行けばよかったなと後悔の気持ちが溢れてきて、綺麗に眠っているようなお顔を見るとますます悲しくなりました。
緊張しましたがとても貴重な体験をさせてもらえてよかったです。
こじんまりとしたお通夜が行われて、夫の親戚の方たちとたくさん会う事ができました。
私たちの結婚式の時でさへ会う事がなかった夫の親戚の方たちもいて、挨拶をするのが大変でした。
翌日お葬式も行われて、またたくさんの親戚の方たちと挨拶をしました。
お葬式の数日後、私はインフルエンザにかかりました。
緊張と疲れでかかったのだと思いますが、葬儀場の人の中にすごく激しく咳をしている人がいたのを思い出して、せめてマスクしてほしかったなと思いました。
50歳男性家族の手作りお葬式で、新しい発見がある事を学びました
私は50歳、男性で広告デザインを生業としています。
家族は妻と娘がいます。
冠婚葬祭の中でも、結婚式ですと、幸せの空間なので、印象に残った結婚式は多いものですが、葬儀となると厳粛であったり、しめやかな空間でもあるので、印象に残る葬儀は、家族や親族以外では意外と少ないものですが、丁度、3年前の知人のお母様が亡くなられた葬儀は、今だに印象に残っています。
その葬儀は、家族葬でした。
家族葬と言っても、家族プラス私だったり、深いお付き合いの方も参加しての家族葬でした。
その葬儀は、司会こそ、葬儀社の方が行っていたのですが、読経をする方は、ご親族の方でした。
勿論、受付も誘導もご親族で行っていました。
参加者は20名もいなかったのですが、本当に手作りの葬儀で、葬儀後のお食事も全て手作りでした。
予算がないと言う事ではなくて、故人の意向だったと言う事でした。
私は親族でもないのですが、何か親族の一員の様な空気感に包まれた不思議な感じでした。
それほどの暖かい距離感の中で、葬儀は進んで行きました。
そして、私が一番、印象に残った事は、メモリアルスライドショーでした。
今や当たり前の物かも知れませんが、この葬儀のスライドショーはちょっと違ったのです。
まずは家族での手作りです。
そして、故人が大好きだった曲をBGMにその場で、お孫さん達が、スライドショーに合わせて、交代でナレーションをし始めたのです。
生まれから、亡くなるまでの10分程の内容でした。
そのお孫さんのお母さんが、少女時代の頃のセリフを故人に話す場面は、もうみんな大号泣でした。
何かそのスライドショーを見ていて、故人は次の人生をスタートを切ったんだなと素直に思っている自分がいました。
そう思うと、葬儀全体が、悲しみを越え、暖かい空気感に変わっていました。
私は家族と故人の距離感を感じて、羨ましくなりました。
葬儀と言うのは、当事者は何か人が多く、気を遣いバタバタの中で終わってしまうイメージがあったのですが、そうではなくて、誰にも気を遣わず、手作りで、悲しみから暖かさに変わり、最後は来て良かったと思える葬儀。
この葬儀が本来の形なのではないかと深く感じて帰って来ました。
手作りをする事で、故人の新たな発見をする事が出来たと、ご家族はおっしゃっていました。
実は相当な苦労人だった事。
実はこんな趣味があった事。
普段は寡黙でも、実はこんな性格だった事。
そんな発見が出来る手作り葬儀は、私は参考にしたいなと思いました。
50歳女お葬式での不思議な体験をしたこと
自営業をしています。
お葬式でのエピソードは、今年亡くなった父についてお話をしたいと思います。
父が亡くなる寸前に、不思議な体験をたくさん経験したのを今でも覚えています。
例えば、なくなる2週間前に動かなくなった腕時計のことをしきりに言葉に出すのです。
『あの時計、動かなくなって半年たつんだよ。
電池を交換してきて欲しいんだ』と、父は母に懇願をしてその日のうちに母は時計屋さんで電池を交換してきました。
父は安心していました。
その後父は安心したのか、息を引き取りました。
そしてお葬式、いつもはなかなか全員が集まることのない親戚中が集まりました。
実家では多くの人を呼ぶことができなかったので、斉場で親戚一同が集まりました。
何十年ぶりにあった親戚の叔父や叔母、いとこや兄弟姉妹の親戚たちが集まりましたが、ここ何年か膝の調子が悪く自宅のベッドで一日寝たきりとなっていた父に対しては、皆もいつかはこうなることがわかっていた様子でした。
前の日にお通夜があり、翌日がお葬式だったのですが、いざ骨だけになってしまった父の姿を見て、皆が一斉に涙を流し始めたのが印象に残りました。
家族全員も皆わかってはいたことなのですが、こうして骨だけの姿になった父を見て涙を流さなかった人はいませんでした。
私も父をみながら「無事に天国へ行ってね」と心の中で伝えたとたん、うわーっと感情があふれてきたんです。
哀しいという気持ちは当のとっくになくなっていたかと思ったのですが、父の頭蓋骨をしみじみと見たときに涙があふれて止まらなくなりました。
骨だけになってしまった姿に。
『うわー、私どうしたんだろう」ととっさに私は思いました。
何だか、父がここにいるみたい。
父が自分の姿を見て泣いているみたいでした。
無意識にうわーっと涙が流れてきた瞬間、私は「私もこんなに悲しかったんだな」と改めて父が大好きだったことを感じました。
ただ、後悔していることはありました。
父の言葉をもう少し理解してあげたらよかったのになと思います。
小さいころはよく父と私はケンカばかりしていたので、父が亡くなった後に後悔しました。
今なら父の頑固で、口下手だったから怒ってばかりだったんだなということがわかります。
皆さんももしご両親に伝えられないことがあるなということがあったら、きちんと話をしておいた方がいいですよ。
いろいろな想いはあるかと思いますが、私のように後悔しないでほしいです。