葬式の思い出:感動と感謝が交わる感慨深いエピソード

40代女性初めての家族葬でお葬式のイメージが変わった

私はアラフィフの女です。

家族も親族も高齢化していますが孫のいる世帯は少ない家系です。

私自身も独身で、子供もいません。

数年前、お葬式ラッシュの時期があって(不謹慎ですかね?)ブラックフォーマルをクリーニングに出す暇がないどころかクローゼットにしまう暇もないくらいでした。

お葬式は親族が集まるだけでも気疲れするのに集まった方々へのお茶出しやら配膳やらで毎日がヘトヘトでした。

時期が冬だった事もあって、車の運転が怖い時期なのにセレモニーホールに行くには急な坂道で凍っていたり、雪がたくさん積もったりと行き帰りも疲れました。

あの頃は故人を悼むとかいうよりは、とにかく疲れたーという感想しかありません。

その後も、何人か亡くなりましたが私の体調が優れないこともあってお葬式への参列を辞退させてもらっていました。

まだ若い従兄弟が亡くなった時はショックでしたが、そのショックがまた体にさわってしまい参列できなかった事が悔やまれます。

叔父の一人が、老人介護施設に入所していました。

叔父には娘が一人だけいますが障害があります。

なので、叔父の認知症も気づかずにどうしようもない状態になってからの入所でした。

寝たきりになってしまった叔父はほとんどの人を忘れてしまっていて母親と娘、兄弟以外の名前は出て来ませんでした。

深夜に親族から電話があって「叔父が死んだようだ」と。

「夕ご飯を食べた後で、巡回したら息をしていなかった」と。

慌てて近くに住んでいる親族が駆け付けるともう死亡診断が終わっていて葬儀までの手順を考える必要がありました。

障害のある娘が喪主。

他の親族は小さい子供がいたり、介護中や入院中の家族がいました。

そこで「家族葬」にしないか?という話になって私も賛成しました。

田舎だと、自宅で盛大なお葬式をするのが当たり前で香典の数やどのくらい親しまれていたかを競うようなイベント化していました。

はじめて経験した家族葬は、みんな気心知れた親族が集まって子供がいる人は連れてきて、来れない人には無理しなくていいと言いお茶出しや配膳の準備もいらず、和気あいあいとしてアットホームな葬儀会場だったんです。

気疲れする事もなく、笑いに包まれたお葬式。

あの空間が印象深いお葬式でした。

40歳女性家族の想いがギュッと詰まった温かいお葬式

私の母親は4人兄弟で、とても仲が良く、母親の弟であるおじさんは、ムード-メーカー的存在で、毎年兄弟家族が集まる正月では、そのおじさんが会を盛り上げてくれました。

面白くて、やさしくて、私もおじさんが大好きでした。

そのおじさんが悪性リンパ腫になり、2か月ほどで帰らぬ人となってしまいました。

おじさん家族は仲良しで、いつも笑いの絶えない家でした。

葬式の時は、私より年下の長男が喪主を務めましたが、ありきたりなあいさつではなく、父親の闘病の様子や、家族と最後どのようにお別れしたのかなど、父親への想いがいっぱい詰まった素敵なあいさつでした。

久しぶりに会って、ああ立派になったなと胸に来るものがありました。

よく、結婚式などで新郎新婦のいろいろな写真をボードに貼って、飾るなんてことがあるかと思いますが、おじさん家族は、このお葬式で写真を飾りました。

あまりこのようなことはないと思いますが、おじさんが結婚した時の兄弟たちも一緒に写った写真、子供たち3人がおじさんに絡みついて笑っている写真、奥さんと旅行に行った時の写真、子供たちが大きくなって、娘が結婚した時の家族写真など、おじさんの今までの様子がわかる素敵な写真でした。

この写真を見たとき、おじさんへの家族の気持ちがすごく伝わってきて、亡くなって悲しいんだけれど、温かい気持ちになれる、家族の想いがギュッとつまったお葬式になりました。

入院して状態が悪くなるにつれ、おじさんは、「兄弟たちに自分が苦しんでいる様子を見せたくない。自分が笑っているときの顔を覚えていてほしい」と言っていたそうです。

家族が作った写真立てには、おじさんの笑った顔がいっぱいありました。

家族は、おじさんの想いを受けとって、このようなことをしたのだと思いました。

けして不謹慎ではなく、こうゆうのっていいなと思いました。

家族の仲の良さや、おじさんの人柄の良さがすごく伝わって、誰にでもできることではないと思います。

私もいつか亡くなった時、こんな風に家族に見送ってもらえたり、見送る立場になった時、こんな風に見送れるような家族を作っていきたいと思いました。

46歳女会社の先輩の早すぎるお葬式

私が、初めて会社に勤めだした時の先輩のお葬式の話ですが、その連絡は、年が明けて突然連絡をもらいました。

私よりも2つ年上の男性で、穏やかですが、病気とは無縁のような細すぎず、太ってもおらず、むしろ鍛えているかのような体格のいい優しい先輩でした。

私は、その会社を辞めて、転職をしていましたが、転職の理由がスキルアップの為だけだったので、その会社の人たちが好きで、ちょこちょこ会社にお邪魔したり、飲みにも行っていました。

ですが、結婚してからは、子どもを連れてお邪魔するのもと思い、控えておりました。

そうすると、子育てに追われ、ケータイだけのやり取りになってしまって、10年ほどが経ちました。

突然の連絡に、震えが止まりませんでした。

行くかとても悩みましたが、仕事のできなかった私に、直接の先輩でもないのに、よくパソコンの使い勝手のいい方法などを教えてくれたりしたので、お焼香だけでもと思い、参列させていただく事にしました。

会社の方々や、他の人に迷惑をかけないようにと、こそっとお焼香に行かせてもらったのですが、そんな悲しい場所でもあるのに関わらず、知り合いの人に会うと、お互い老けたね、という会話が飛び交いました。

20代前での会社勤めから、40歳を超えているのですから、当然なのですが。

そんな中、亡くなられた先輩のお顔を見ると、あまりの変わらなさに驚きました。

先輩、見た目全然変わってないのに、と言った瞬間に涙が溢れました。

彼は、ご結婚もされ、ちょうど私の子どもたちと同じ歳で、気丈に振る舞う息子さん達を見て、胸が締め付けられました。

お母様をしっかりと支えていかないといけないと思っていたのか、お兄さんの方は、泣かないように口を固く閉じて、きちんと挨拶をしておられたのがとても印象的で、逆に、まだまだ若いこれから働き盛りの先輩が亡くなるというのは、こんなにも受け止め難い事だと思いました。

彼も無念でいっぱいだと思いましたが、突然の予想もしていないお葬式は、こんなにも沈痛なものだと思い知ったお葬式でした。

49歳女性母の葬式で…笑ってよいのかいけないのか

私は49歳の主婦です。

10年ほど前に母を脳梗塞で亡くしました。

当時の私はまだ結婚をしておらず、自由気ままな生活をしておりました。

結婚しなくても、お母さんがいればいいや、掃除も洗濯もしてくれるし、食事も作ってくれる…そんなことを平気で言っておりました。

脳梗塞で倒れた母は、意識不明のまま、2日後に、天国へ旅立ちました。

最後のお別れのことばももらえませんでした。

早く結婚をして孫を抱かせてあげればよかったと、今でも後悔しております。

と、ここまでは普通の話しです。

お葬式の日は、2月の寒い日でした。

兄夫婦は、5歳と2歳の娘を抱いて参列していました。

私と父、兄、妹は、最前列に座りました。

その後ろで、兄嫁が2歳の姪を抱いて座っていました。

長い長い読経で、さすがの姪っ子たちも飽きている様子でした。

2歳の姪が徐々にぐずり出しました。

兄嫁が、小声であやしながら、飴玉を舐めさせていました。

その飴玉には、バーバパパの絵が描いてありました。

それを見るなり、姪は歌い出したのです。

「バーバパパのおっぱい、好かん!ばあばのおっぱいも、好かん!」静寂の中で、姪の歌声が響き渡りました。

私は思わず吹き出しそうになりましたが、ぐっとこらえました。

すると、姪は、しつこいくらい繰り返し、「バーバパパのおっぱい、好かん!ばあばのおっぱいも、好かん!」と歌い続けました。

横を見ると、妹も笑いを必死でこらえているのが分かりました。

それを見ると、私はますます可笑しくなって、肩を震わせて笑いをこらえました。

後ろから見ていた人は、「肩を震わせて泣いている」と思ったようですが?この話しには伏線があります。

以前、兄嫁から姪を預かったことがありました。

姪は夜になると、兄嫁のおっぱいを吸って眠る習慣があり、この日はなかなか寝付けませんでした。

そこで、母が、試しに、自分のおっぱいを姪に吸わせたところ、「好かん!」と言って、寝てしまったというエピソードです。

このエピソードなしには、母の葬式は語れません。

今でもあのときのことを思い出します。

私たちは必死に笑いをこらえたけれど、笑った方がよかったのではないか、と思うことがあります。

それがお母さんらしいというような気もします。

後になれば、そんなこともあったねって、言えるような日が来るのですから。

むしろ、その方が良い想い出になったかも知れません。

お葬式は、体裁を気にせず、泣いたり笑ったりして、ありのままで送り出してあげた方がいいと思う今日このごろです。

40代女性叔母の葬儀は家族葬、心がこもっておりました

私は現在40代後半の既婚者女性です。

家族は3人家族ですが、近くには両親や親族などが住んでいるので、身内の交流などは割りと盛んにある方だと思います。

今回の葬儀の事は、私の実の母親の実の姉の葬儀の話しです。

母の姉は私の事を実の娘同様に可愛がってくれました。

私の子供が生まれた時にお世話をしてくれたのは母親ではなくて、母の姉だった事もあり、私の子供の幼少期から母の姉を祖母のように慕っていました。

そんな母の姉が病に倒れて、他界をした時は本当に悲しかったです。

私の夫や子供も同じ様に悲しんでくれて、夫は仕事が多忙でしたが、葬儀にも参加してくれました。

母の姉は生前より、自分が他界したら、家族葬でそっと送ってほしいと言う事を伝えていたそうなのです。

母の姉は2人の息子がいたので、長男が喪主となり、私や母も同席して葬儀社の方と葬儀について話し合いをしました。

その時に生前の叔母の意志を私も伝えて、結果的に親族の中でもごく近しい人間だけを呼んで、家族葬にしました。

家族葬でも1日に短縮して通夜葬儀、そして出棺納骨、初七日までをまとめてできると言う仕組みの家族葬でした。

最初は詰め込み過ぎなのかな?と思いましたが、結果的にはとても充実した濃い1日で家族葬が取り行われました。

一番心に残ったのは、本当に叔母の事を惜しみ悲しみ、おくりだしてくれようと葬儀にきてくれた方ばかりでしたので、心が熱くなる場面が何度かありました。

一番心に来たのは、叔母が生前好きだった曲を流して、流して最後を送り出せたことや、葬儀の後の会食も叔母が生前に好きだったものを並べて、好きな音楽を流して、まるでそこに叔母がいたかのような雰囲気でいられたことでした。

とても来い葬儀の時間は生涯心に残るものだと思いますし、あのような形で理想的な家族葬ではないかと葬儀に関わってみて感じました。

葬儀に来てくれる人の人数ではなく、どのように故人を送り出すかだと学びました。

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