葬式の思い出:感動と感謝が交わる感慨深いエピソード

40代主婦お葬式をみて考える終活

40代2児の母です。

30代のころ父が他界しました。

長い闘病生活からの他界でしたので、ある程度覚悟もできており、子供がまだ小さかったこともあって、死に覚悟はできていませんでしたが、お葬式に対しても粛々と気を落とす母やまだ乳飲み子の子供を抱えて気丈に振舞っていたのを覚えています。

40代になってくると、同世代の方たちの親御さんが高齢にさしかかり、亡くなられることもあって、葬儀などに参列する気かが増えてきました。

その時に感じることは、死に直面してある程度覚悟で来ていた人と、まだ受け入れられないという人が親族でいらっしゃるということ。

お通夜の席でまだ棺に穏やかに眠っている姿を見て、死を受け入れていない人、見るのもつらいという気持ちでおられる人、様々だということです。

小さい子供たちが棺を見て「眠っているね~おばあちゃん」という子もいれば、大人でも「まだ眠っているようで穏やかで綺麗な顔をしているよね~」と話しかけているように棺の見つめる方。

「長い闘病生活でつらかっただろうから、穏やかな顔をして旅立ててよかった」など、本当にさまざまで、同じ葬儀でも話を聞くと全く違った感じ方だったりします。

少し、不謹慎に聞こえるかもしれませんが、とても面白い知り合いの方の葬儀で親戚一同方向性が一緒なのか、まるで結婚式のような、大宴会のような、笑いあり、笑いあり、悲しんで泣いている人が一人もいない葬儀で、葬儀中に挨拶する方も「ただ今ご紹介にあずかりました~○○の甥でございま~す」とお笑いの出囃子のような調子で始まり、参列者も最後には喜怒哀楽がわからなくなるくらい笑い泣き、泣き笑い、と不思議な空間でした。

でも、一つだけ感じたことは家族や親戚の方が皆さん、故人はこういう送られ方をしたいはず。

という気持ちが強く、出来るだけ多くの参列者の方の笑顔を見て旅立って欲しいということでした。

私はもし自分が葬儀をするときはそんな風に送ってほしいし、家族にもそういう精神で過ごしてほしいので、まだ子供が小さいうちは親の死を考えるだけで不安に感じると思うので、もう少し成長したら、私の終活の一部を少しだけ伝えられてらいいなと思っています。

30歳主婦恩師のお葬式で見た、素敵な夫婦愛

30代の主婦です。

私が恩師のお葬式で印象に残っているお話です。

中学校時代の恩師が私が大学生の時に亡くなりました。

その先生は部活の顧問の先生でした。

いつも親身に私たち生徒の話を聞いてくれる、素敵な男性の先生でした。

私たちの部活は合唱部です。

その先生も音楽家で、ピアニストで、アメリカに留学経験もある方でした。

ユーモラスで素敵な先生。

みんな大好きでした。

私たちが中学生の時にはもう、定年間近でしたが、その時はとても元気でした。

病気とは無縁でいつも元気はつらつ。

まさかその後、がんを患うとはだれも予想していませんでした。

私たちが卒業して2年後に先生は定年退職しました。

会う機会もなく、先生はどうしているかなあ、と部活仲間と会う時に懐かしんでいました。

大人になった時にみんなで飲み会とかしたいねーなんて言っていました。

先生ががんで入院しているらしいという知らせを聞いたのは大学1年生の秋でした。

友人からその知らせを聞き、とても驚きました。

まだまだ若かった私は「がん」という響きに恐怖を覚えました。

テレビなどではよく聞くけど、まさか自分の身近な人がなるなんて・・・。

しかも病状は悪いらしいとのこと。

どうしたらよいのか、お見舞いに行ったらいいんだろうか。

迷惑かなあ。

仲間内でそんなやりとりが繰り返され、一週間ほど時間が過ぎたころ、先生は亡くなってしまいました。

本当にショックでした。

私にとっては初めて身近な人の死との対面でした。

先生はクリスチャンでした。

幼いころに行った親戚の仏教のお葬式以来のお葬式。

戸惑いもありましたが、作法など両親から聞いたり、調べたりしてお葬式に向かいました。

プロテスタントの教会でのお葬式でした。

はっきりとした流れは忘れてしまいましたが、オルガンの素敵な音色が印象的でした。

お経はもちろんなく、みんなで賛美歌を歌い、牧師さんのお話がありました。

また、三名ほど、先生の友人方が、先生との思い出をお話してくださいました。

「ああ・・・先生はこんな人生を歩んでこられたんだなあ」「こんな思いで教師をしていたんだなあ」と、涙しました。

そして、一番印象的だったのが、奥様です。

先生の奥様は、先生と同じくクリスチャン。

そしてピアニストの方でした。

友人の方々のお話の中で先生はとても愛妻家だったというお話がありました。

きっと素敵な夫婦関係だったんだろうなあと思います。

奥様は最後まで涙を見せず、背筋をピっと伸ばしとても気丈にふるまっていました。

出棺前、先生の棺にお花を添え、みんなでお別れをしました。

最後に奥様がお花を添えたのですがその時に奥様はそっと先生にキスをされました。

そのシーンが今でも私は忘れられません。

涙は見せず、冷静に、でも別れを惜しむ切ない気持ちがとても伝わりました。

奥様が先生のことを心から愛していたんだなあということが痛いほどわかりました。

まるで映画のワンシーンのようでした。

お葬式で不謹慎だとは分かっているのですが、とても素晴らしい瞬間だったように思うのです。

最後まで涙を見せず、素敵なお別れをされた奥様の姿が本当に素敵でした。

辛いお別れでしたが、今でも心に残るお葬式でした。

28歳男お葬式での大行列

これは自分の祖父の葬式でのエピソードです。

自分の祖父は元気な人でした。

祖父は平日、毎朝、天気が良ければ、ゲートボールへ行き、運動を行っていました。

ゲートボールの腕は、区内の大会に優勝し、区長から表彰されるほどの腕前でした。

また、自転車に乗り、坂道を上るときは立ちこぎはせず、座ったままこいでいました。

祖父としては、必要ないから座ってこいでいるとのことでしたが、10代だった頃の自分が立ちこぎでもつらい坂を、祖父は座ったままこいで、坂を登っていました。

かなりの健脚の持ち主で、当時60代後半でした。

夏場はクーラーを使わず、上半身裸になり、扇風機の風と、窓を開け、外の風のみで夏場を過ごしていました。

祖父は人柄もよく、町内会のイベントには必ず参加し、企画、運営を行っていました。

自分は地元のコンビニでアルバイトを行っていましたが、自分が祖父の孫だと知った近所の方が、祖父にはいつもお世話になっています、ありがとうと言われることが多かったです。

また、自分が進学するときに惜しみなく、お金を出してくれたと両親から聞くことがありました。

さらに、自分が20歳になったときにお祝いとして、当時最新のテレビを買ってくれたことを覚えています。

その際、お店の人に値切り交渉をして、表示価格より安く購入していました。

元々、呉服屋で商売していたということもあり、その交渉術に圧巻していました。

魅力ある祖父が亡くなったときは悲しかったです。

そんな祖父のお葬式に、たくさんの方が焼香をあげにきてくれました。

祖父の葬式を見て、自分が将来、死んで、葬式をあげてもらったときに、情でのつながりで多くの人が参加してくれたら、いいなあと思いました。

そのため、多くの人と、良い交流、関係を築いていきたいと、祖父の葬式から感じました。

莫大な遺産などは残していませんでしたが、自分の心には、祖父の葬式での風景が残っています。

祖父から人と人とのつながり、信頼関係を大事にしろよと最後の最後に教わった気がしました。

49歳男、旧友のお父さんのお通夜で号泣の巻

今年で50歳になる会社員の男性です。

「お葬式で印象に残ったエピソード」と言うことで、今回は最近の事例を記載します。

昨年の夏でした。

旧友のお父さまが亡くなられて、地元の農協会館の葬儀場でお通夜があり、出席しました。

旧友のお父さまとは、高校時代や大学時代に何度か一緒に飲食したこともあり、その頃から、あまり外観は変わらなかったので、いつまでも若いなぁと思っていましたが、大腸がんを患っていたらしく、発症してから1年ぐらいで亡くなってしまいました。

お悔やみ申し上げます。

さて、今回は、その旧友のお父さまの通夜において、お葬式自体は、葬儀屋の指示に従って、通例通りに厳かに行われていました。

その中で、特に印象に残った場面がありました。

それは、孫からの最期の言葉でした。

孫は、旧友の娘さんが二人いて、中学2年生になるお姉ちゃんが、お爺さんへの最期の言葉を読み上げていました。

私も、その旧友の娘さんたちと、たまたま同じ年の息子が二人いるので、非常に共感するものでした。

内容は、主に、おじちゃんとの思い出でした。

塾やお稽古ごとの送り迎えや一緒に行った色々な行事や食事会の話など、聞いていると、危うく私も号泣しそうで、涙をこらえていました。

そして、最後に一言、「おじいちゃん、もう少し一緒に居て欲しかったよ」これで、締めくくられました。

もう私は、我慢出来ず、恥ずかしながら、号泣しました。

友人たちも驚いていましたが、後で、感動しやすいお前らしいなと言われてしまいました。

私の場合、まだまだ私の父は健在なので、中学3年と1年になる息子達も、まだまだおじいちゃんにお世話になると思いますし、まだまだ頑張ってもらわないと困ってしまうのが実状です。

でも、実際のところは、いつ亡くなるのかなんて、誰にも分かりません。

ただ、はっきりわかったのは、いつも同じ敷地内で一緒に暮らしているお爺ちゃんと孫の絆は、本当に深いものなんだと痛感したお葬式でした。

あまりに感動したので、これは使えるなと不謹慎ながら、うちも孫からの最期の言葉を言わせようと思ってしまいました。

私と旧友の友達や旧友の知り合いや親類の方々も居たのに、思わず、号泣してしまった自分が恥ずかしくて、我慢すれば良かったと後悔しています。

お葬式で、孫からの一言や親友からの一言などで、ついつい感動してしまって、思わず号泣しそうになったら、耳をふさいで、ウルフルズとか、こち亀などの元気のある歌でも思い出しながら、他の全然違うことを考えたりして、とにかく、気をそらして、号泣しない様に気を付けてください。

あまりその場の雰囲気に入り込まないこと。

恥ずかしいですからね。

恥ずかしいのは、私だけで十分です。

29歳男親戚の子の強さに脱帽しました

こんにちは。

僕は29歳の男性です。

職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

そんな僕はいつもの通りに家でデスクとパソコンに向かい、仕事をしておりました。

仕事をしていると親戚の叔母さんから着信がきました。

僕は「もしもし?叔母さん」というと、叔母さんが「あっ!もしもし??私よ久しぶりー」なんて感じでしたが、叔母さんは「あのさ実は今朝方に私の姉が亡くなったの」という事でした。

僕はあまりにも急な出来事だったのでびっくりしてしまい、「ま、マジ?叔母さんドッキリじゃないよね?」というと、叔母さんは「ドッキリじゃないわよ。

それであなたにも葬儀等の手伝いに来て欲しいの」というので、行くことしました。

礼服に身を包み、叔母さんのお姉さんの自宅へ行くと、親戚一同が集まっており、色々と挨拶をしたりお話をしたりました。

それで僕は叔母さんと共に、お葬式の手配と送り迎えのバスの運転手と、食事の手配をしました。

食事は近所の老舗料理屋から作ってもらうことにして、バスの手配も完了をして、お葬式の日取りも決まり、夕方からは少し余裕ができました。

そうしていると「兄ちゃん!」という声がしたので振り返ると、親戚の男の子がおりました。

この子とはテレビゲームをしたり、一緒にごはんを食べたりして仲良かったのです。

「兄ちゃん。お別れの言葉の文章みてくれる?」と言われて、僕は文章を見てあげました。

小学4年生の割には、きちんとした文章構成で書かれており、感心したほどです。

僕は「明日の葬式でお別れの言葉を読むんだね?頑張ってね!泣くんじゃないよ?男だったらね。

安心して天国へ行けなくなるだろ?」というと、「うん!僕大丈夫!泣かないよ」と言いました。

そして、次の日。

葬式の会場へ到着すると、色々な準備をしてから、葬式となりました。

いよいよこの子のお別れの言葉の時が来たのです。

僕は内心「泣いちゃうだろうな」と思っておりました。

ところが、「これからお別れの言葉を読みます」といい、淡々と読み上げる姿は、とても子供とは思えませんでした。

きちんと最後の最後まで読み上げました。

親戚一同は「泣かないなんて・・・」や「泣かないなんて偉いね」とほめておりました。

僕のこの時の心情としては、「本当に偉い子だ!強い子だ!」と思いました。

最後にアドバイスとなりますが、故人を見送る時はとても泣きたいし、辛いと思います。

僕は泣いてもいいと思います。

でもやはり、この子のように泣かずに送り出してやるのが故人にとっては一番有難いことなのではないでしょうか?

僕の方がこの子より年上ですが、この子のことは尊敬している部分があります。

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