51歳男焼き場で父の喉仏について話してほしかった
大人になってから経験した最初の親戚の葬式は、母方の祖父の葬式でした。
もう30年近く前のことです。
おじいちゃん子だったこともあって、とっても悲しかったのを覚えています。
「死んでしまったおじいちゃんは、どうなるのだろう」。
そんなことも考えました。
そういえば、おじさんと一緒に二人で「お骨を守る」というので葬儀場に泊まりました。
東京だとそんなこともしないでしょう。
もっともすごく田舎ではありません。
鎌倉です。
ひょっとしたら、神奈川県のあの地域での昔からの習慣なのかもしれません。
でも一番驚いたのは焼き場へ行って、祖父のお骨が出てきたときのこと。
焼き場の職員の人が、ピンセットみたいなものでお骨のかけらを持ち上げてみせるのです。
「ほら、よくご覧ください。
仏様の形をしていますでしょ。
亡くなかった方が成仏された証拠です」なんでもその骨は喉仏なのだそうです。
喉仏が座っている仏様のように見えるのです。
その5年ほど後に、母方の祖母が亡くなりました。
よく覚えてはいないのですが、葬儀場や焼き場は同じだったのではないかと思います。
その証拠にやっぱり焼き場で同じことをいわれました。
「ほら、よくご覧ください。
仏様の形をしていますでしょ。
亡くなかった方が成仏された証拠です」なるほど。
焼き場ではそういうことをいうものなんだな、と思いました。
昨年、父が亡くなりました。
今回の焼き場は都内の焼き場です。
祖父祖母のときと違って、ごく最近のことなので事細かに覚えています。
一番衝撃的だったのは……。
喉仏の話が一切なかった。
私自身もう50を越して、人生もそれなりに生きて来たせいか、「死んですべてが終わりじゃないさ」と思うようになりました。
だから別にいいといえばいいような話です。
時代もあるかもしれないし、東京だからビジネスライクなのかもしれません。
喉仏の話がないから、父だけ成仏できないというわけでもないでしょう。
でも2度も喉仏についての講釈を聞いた身としてはちょっと残念でした。
28歳女 祖父のお葬式で好物を棺に入れる段になって…
おじいちゃん子の女性です。
祖父が亡くなったのはもうずいぶん昔のことですが、多忙な父母に代わって私を育ててくれた恩もあり、亡くなったときは親を亡くしたかのようなショックでした。
葬儀は仏教式。
おごそかにお通夜が祖父宅で営まれました。
たくさんの弔問客。
誰もが心から泣いていて、温かい祖父の人柄がしのばれました。
宗教方式から、家の玄関の入り口に大きな銅鑼が掛けてありました。
これがかなり特大のサイズで、皆これをくぐって家に入るしかなく、頭をぶつける人も続出。
「この銅鑼、こんなに大きい必要ある…?」と皆口々に言っていました。
祖父と対面のとき、祖父の仕事着だった白衣が着せられ、それに合わせてたくさんの真っ白な百合が入れられていました。
さらに百合の花束が回ってきて、祖父の遺体を埋め尽くさんばかりになったとき、嗚咽が漏れ、皆感情をたがぶらせていました。
そのときです。
なぜかここでバナナの房が百合の花束とともに回ってきました。
百合の花に混じって、濃厚な完熟バナナの香り…。
弔問客はザワつきました。
「なぜバナナ…?」と。
すると誰かが「個人の好物を棺にたくさん入れてあげてください」と叫びました。
たしかに祖父の一番好きな果物はバナナでした。
私は隣にいた伯母に、「バナナ…どこに入れるの?」とささやきました。
伯母は「うーん、スペースがないから、百合の上から置こうか…」と戸惑っていました。
体のほうはもう故人のメガネや私物で埋まっていたので、残っているのは顔周辺のみ。
「この演出はどうなの…?」と思い、バナナの房ごと棺に入れようとしましたが入りません。
私と伯母は、バナナをちぎって1本ずつ祖父の顔の横に置きました。
幼い親戚の子供がそれをみて噴き出しました。
バナナに埋もれる祖父の顔…。
しめやかだった空気が、だんだん笑いに変わっていき、私も泣き笑いしながらもなんとなくいたたまれなくなりました。
さらに二房目のバナナが回ってきた頃には、祖父の顔はバナナに埋め尽くされ、忍び笑いがあちこちで起きる始末。
祖父は戦後の厳しい時代、甘味はバナナだけだったとのことで、そんな切ないエピソードがありつつ、この笑撃の状況に若干ショックを受けました。
最後に出棺の銅鑼が激しく鳴ったときも子供たちは爆笑。
ある意味明るいお葬式でしたが、「信心深かった祖父本人はどう思うのだろう」と思うと複雑な気持ちになってしまいました。
これからお葬式をされる予定のある方は、故人の好物を棺に入れる際、しめやかな空気が壊れないかどうかその内容を確認されるのがいいかもしれません。
33歳女性最後まで温かく故人を送る
30代女性です。
今春に祖母を見送った際に家族葬を利用しました。
祖母は祖父に先立たれてから10年ほど経過していました。
祖母は認知症を患っていたため亡くなる最後の方は近隣家族との付き合いと福祉施設のヘルパーさんとのやりとりだけだったと思います。
認知症になって8年ほど経過していたため友人や近所の人のことはもう見ても思い出せないようでした。
祖母が亡くなった際は親族以外に葬儀に呼ぶ必要はないのではと考えて、小規模の家族葬を選択しました。
葬儀は親族20名ほどで執り行いました。
家族葬は祖父の時と同じ葬儀会社さんにお願いをしました。
お通夜の翌日に告別式を行いました。
お通夜から、翌日の告別式までは親族で同じ宿泊施設に泊まりました。
CMなどで「さようならがあたたかい」など聞いたことがありましたが、まさにそのような印象でした。
棺に入った祖母を20人ほどの親族で囲んで「おばあちゃん綺麗なお顔だね」、「好きだったお花に囲まれてうれしそうだね」と話しながら、みんなでお別れのあいさつをしました。
家族葬のいいところは、喪主となる人が余計な気疲れをしなくて済むという点です。
親戚以外の人を呼んで葬儀になると、正直お顔のわからない方、つながりがわからない方がいらして、対応に追われることがあります。
お香典を受け取ればお返しの準備も必要になります。
食事の準備や会場スタッフの増員などお金の問題もでてきます。
故人を直接知らない人が会場にあふれるよりも、一緒に暮らしたことのある人たちで見送る方がずっと温かいと感じました。
また親族が久しぶりに再会して同じ宿泊施設に泊まったことで、久しぶりに集まることのできた喜びを感じました。
葬儀に参加した小さな子供たちは、みんなで旅行に来たような気分が味わえたようでした。
私の祖母は認知症だったためいつかお迎えが来てしまうことは覚悟していました。
祖母のように、周りの家族が心の準備ができているのであれば家族葬で十分なのではないかと感じました。
家族葬を通じて疎遠だった親族とも再開ができて温かい時間を共有することができました。
25歳女はじめての家族葬
25歳女性です。
私が印象に残っているお葬式は母方の祖父のお葬式でした。
母方の祖父は病気のため70歳でなくなりました。
私は地元を離れていたので何度か無くなる前に会いに行ったのですがそのときは元気はなく、そのあと後日息を引き取りました。
母方の祖父は結婚をするとともに地元の新潟県を離れて祖母のいた愛知県へと引っ越してきました。
婿養子というわけではありませんが新潟県より愛知県のほうがお仕事があるという理由で引っ越したそうです。
そのため祖父側の身内はほとんど新潟におり、年配の方が多いためお葬式は愛知で家族葬で行われることになりました。
家族葬を今まで経験したことがなかったので、イメージとしては小さいところで細々とお葬式をするのかな…なんだか寂しいなと思っていましたがお葬式場について驚きました。
非常に綺麗なお葬式場で、家族が最後の時間をゆっくり過ごせるようなつくりになっていました。
スタッフの方も丁寧で、安心して祖父の最後をみることができました。
スペースは他のお葬式場よりもかなり狭く感じるのですが、お葬式にくる人数が20人にも満たないため窮屈な感じはせず、むしろ親戚がみんなそばにいることで変な気も使わずに過ごすことができました。
飲み物もフリードリンクのサーバーが置いてあり助かりました。
また、祖父は宗派が愛知県にはなかなかない宗派だったためお坊さんを探すのに苦労するかなとおもっていたのですが、お葬式場のスタッフが迅速に探して対応してくださいました。
宗派がちがうため葬式中の焼香の仕方等も違うのですがその部分も丁寧に説明してくださったので安心しました。
細々と少人数に見送られるだけのお葬式は寂しいなと以前は思っていたのですがそのイメージは変わり、もし私がなくなった時は家族葬で大好きな人達にそばにいてもらいながら見送られたいなと感じておりますし私の親戚もここでお葬式してね!と言っていました。
大切な人との別れの時間をたくさんかけることのできたお葬式は非常に印象に残っています。
35歳女粋な副葬品に感銘しました
現在2児の母親をしている専業主婦です。
10年ほど前の話ですが、私の伯父が亡くなり葬儀に参加したことがありました。
私が小さいころは伯父の家族と一緒に果物狩りに連れて行ってくれたり、潮干狩りに連れて行ってくれたり、うちに泊まりに来た時には私の寝かしつけまでしてくれたこともありました。
よく遊んでくれた優しい伯父とのお別れだったので、私はとても悲しかったのですが、感謝の気持ちで一杯でした。
読経や焼香などが終わり、最後のお別れの時。
御棺に副葬品を手向けます。
私たち家族はそれぞれお花を手向けました。
伯父の家族からはいつも身につけていたものなどの他に、趣味でよく使っていたあるものが手向けられました。
それが、釣竿でした。
内陸に住んでいた伯父でしたが、本当に釣りが好きで、シーズンになると休みのたびに沿岸の地域へ遠征し、釣りを楽しんでいました。
その帰りにうちへ寄って、魚をたくさんくれたこともあり親戚や親しい人の間では伯父の釣り好きは有名でした。
そんな伯父の為に家族は釣竿を入れようと考えたのです。
しかし、釣竿は金属や燃えない素材が使われている製品。
通常であれば副葬品としては入れられません。
そこで、伯父の家族は本物の釣竿に模して作った木製の釣竿を副葬品として手向けたのです。
私はこういうものがあることを知らなかったので、これはいいアイディアだなと思い感銘しました。
葬儀についての相談をする際に副葬品の相談もしておけば、釣竿のように入れられないものであっても木製の代替え品を副葬品として用意してくれる場合があるそうです。
他には金属でできたメガネや化粧品、酒類など様々なものを模したものがあり、遺族の気持ちに出来る限り応えてくれるようです。
これには伯父もきっと喜んでくれたのではないかと思います。
天国でも釣りを楽しんでいるのではないでしょうか。
身近にいる大切な人が亡くなってしまった時、それは本当に悲しくて気持ちに余裕はなくなるかもしれませんが、伯父の時のように故人の為に粋な計らいができたらいいなと思いました。