葬式の思い出:感動と感謝が交わる感慨深いエピソード

39歳女、ユニークな葬式を経験しました

39歳、専業主婦です。

私が高校3年生の時に亡くなった祖父のお葬式エピソードです。

祖父は9月中旬に88歳で亡くなりました。

脳梗塞でした。

祖父と同居している親戚(父の兄)から、危篤だと電話連絡があってから1週間で亡くなってしまいました。

父の実家は山梨県大月市の山奥です。

昭和の雰囲気が残っております。

葬儀は自宅で行われたのですが、その葬儀がユニークだったので紹介します。

葬儀は親族とご近所の方々の協力により作り上げられるイメージです。

通夜の前日から支度が始まりました。

葬儀屋さんが来て準備をするのではなく、葬儀に詳しい人が指揮を取っていました。

男性は祭壇準備や電気系統の準備などの力仕事、女性は掃除や食事作りなど各自の得意分野に分かれていました。

私は葬儀場での葬式しか知らなかったので驚きました。

お葬式も驚きの連続でした。

山伏のようなお坊さんがやってきました。

痩せており、無精ひげを生やしています。

祖父の葬式前に4つの葬式を経験していますが、いずれのお坊さんも肌艶が良く、ふくよかでピシッと輝きのある袈裟を着ていらしたので、引いてしまいました。

お経もユニークでした。

祖父は普通の仏教徒なので、私が経験した葬式のようにお坊さんが祭壇前に座りお経をあげてくださるのを聞くと思っていましたが、立ったままのお坊さんが繰り返し唱える「南無妙法蓮華経」に合わせて親族一同も大きな声て繰り返し唱えました。

親族は祭壇の前に並んで正座をしており、お焼香セットがお盆にのって回ってきます。

お焼香が終わるまでお経は唱え続けられ、15分以上は唱えていたと思います。

その後も驚きの連続です。

一般的には精進落としというと、お寿司かなと思うのですが、カレーでした。

となりの家へお邪魔して、温かいカレーを皆でいただきました。

父の会社の同僚や母の兄弟などが来てくれたのですが、全員が驚いていたそうです。

参列して下っ去った方には、親族が知らない驚きが受付でありました。

なんと、香典返しと共に飴が貰えたそうです。

イメージは、焼肉屋さんや薬局などのレジカウンター脇に「ご自由にお持ちください」と置いてあるスタイルです。

葬式の後、親族はマイクロバスに乗り火葬場まで行きました。

お骨を骨壺に入れるときの流れは一般的でしたが、その後が違いました。

火葬後すぐに納骨だったのです。

火葬場から自宅に戻ると、祖父の家から歩いて15分ほど離れた場所にある御墓に行きました。

祖父の墓は山の上にあります。

舗装されていない道幅50㎝程の山道を喪服のまま、女性はヒールで上りました。

祖父の葬儀から20年の間に6つの葬式に参列しましたが、こんな斬新な葬式は祖母のときだけでした。

祖父の葬儀で後悔していることは、準備のとき母に言われたことだけ手伝い、あとは従妹と遊んでいましたが、私にも手伝えることが他にもあったかもしれないということです。

この記事を読んでくださった方ににアドバイスがあるとしたら、普通とは違うタイプの葬式があることを知っておくことだと思います。

内容まで詳しく調べる必要はありません。

あるという事実を認識しておくことでユニークな葬儀に参列することになったときも、心を落ち着けて故人の冥福を祈ることができると思います。

29歳女母の葬儀でお坊さんの話にびっくり

こんにちは。

2年前に母を亡くした29歳女性です。

まだ50代と若かった母が突然亡くなり、家族全員が悲しみに暮れる中、身内だけの小さなお葬式を執り行いました。

9月のなかごろで、夏の暑さも落ち着き、ひんやりとした雨が降っていました。

本当に突然のことだったので驚きと喪失感のなか、涙をこらえながら(ほぼこらえられていませんでしたが)お経を聞いたり、お焼香をあげたりしていました。

母との最期の時間を惜しく思う気持ちと、あまりにつらいので式が早く終わってほしい気持ちがせめぎあって、頭がぐわんぐわんしつつも、おとなしく椅子に座っていました。

この辺まではいわゆる普通のお葬式で、私も母との別れに集中できていました。

お経が終わるとお坊さんからありがたいお話が始まりました。

その話始めがなんと!「日本は近いうちに必ず滅亡します。

」。

耳を疑いました。

思わず心の中で「えー!(笑)」と叫んでしまいました。

参列者は全員悲しみに暮れているというのに、なんて救いのない話!(笑)よく聞いていくと、このお坊さんはどうやら日本の経済の行く末を心配しているようでした。

「最近は葬式をする人も減った。

坊さんもなかなか呼んでもらえず苦労している・・・」「年金や健康保険もそろそろヤバい。

若い人の気持ちもわかるが、お葬式をしないなんて、どうなっても知りませんよ。

」といった内容。

式場は「葬式の場で営業活活動するなよ・・・」という空気で包まれました。

お葬式を終えた後、親族の会話はこのお坊さんの説法の話で持ち切りでした。

「なにもあんな話しなくてもねえ・・・」「せめてもうちょっと明るい話を・・・」その時はすごくびっくり&ちょっと怒りを感じてしてしまいましたが、今となればちょっとした思い出です。

親族と会った時にも笑い話になるし、まあ、いいかな、という気持ちです。

お坊さんがここまで見越してあのはなしをしたとは到底思えませんが。

笑以上私のお葬式びっくりエピソードでした。

ありがとうございました。

同い年の友人の葬式で学んだこと

初めまして。

私は現在23歳の仙台市出身の者です。

私の持っているエピソードは私の友人のお葬式のエピソードです。

これは心霊系のエピソードなどではなく、感心したなぁというものです。

昨年の八月に私の友人が交通事故で亡くなったのですがその友人は優しい男でとても大勢から好かれていました。

その友人がなくなったのは早朝の通勤途中に居眠り運転をして運悪く大型クレーン車と正面衝突を起こして亡くなりました。

私はその友人に気が向いたときたまにLINEを送る程度でしたがそのラインにも優しく返信をしてくれるような男でした。

彼は高卒後すぐ就職していたので仕事も安定しそろそろ飲みに行こうと話していた矢先のことでとてもショックを受けました。

私はその友人が亡くなったと聞いたとき会っておけばよかったと後悔したとともにせめてもの罪滅ぼしの気持ちでその友人のお葬式そしてお通夜には必ず参加し彼の両親には何か言葉をかけて少しでも楽になってもらおうと思いました。

私がまずお通夜に参加して驚いたのは彼の友人の多さでした。

私は祖母のお葬式をその半年前に経験していたのもあってお葬式はすごくこじんまりした物だというイメージがありました。

がしかし彼の場合数多くの友人がいて多くの人から愛されていたようで数多くのご老人なども参列していました。

お葬式では席が足りなくなるほどの参列者で溢れかえっていました。

まさかお葬式でその人となりをみるとは思いませんでした。

またもう一つ勉強になったのは息子を若くして亡くした彼のご両親も参列者に大きな気遣いをみせとても信じられない笑顔で接していたこともあまりお葬式お経験のない僕はとても驚きました。

そして多くの人からご両親に励ましの言葉を掛けられなんだかこういうことによって救われているんだなと少し思い、結果的には亡くなった人が人生で人を大切にしてきた結果家族に何かつらいことが起きてもその彼の愛を受けた友人知人が残された家族を救うのだなと思いました。

私もそうなりたいと思いましたし、そう生きることは素敵なことだと思いました。

46歳女性が近所の方の優しさの中でお葬式をした記憶

私は、40代半ばの既婚女性です。

今でも続く田舎独特習慣の中で、父親のお葬式をしました。

ここでは誰かが亡くなると、今でも近所の方がサポートしてくれます。

今から3年前の春、私の父は病気のため60代で亡くなりました。

家族みんなが覚悟していたことではありましたが、やはり気が動転してしまい、特に母はかなり落ち込んでしまいました。

母は、信じられないくらいきつい言葉を口にするようになり、何度注意しても止まらない。

私は、何度も何度も母を裏山に連れて行って、言動に注意するようにと伝えたのですが、ダメ。

ほとほと困りました。

しかしながら、お葬式の準備をどんどん進めていかなければなりません。

私たち姉弟も、不慣れだったため、何をどうしたら良いかまるで分らない。

そんなとき、近所の方が私たち家族を労わり、色々助けてくれました。

近所のとある方が、クレイジーになっている母をとがめることもなく、広い心で接しながら、私に優しい声で「お母さんを頼むよ」と言ってくれました。

喪主は弟だったので、全て弟が対応。

色々教えてもらいながら、お葬式を行うことができました。

私の家は、築100年以上経つ古い家で、子供のころはその古さに恥ずかしさを感じていました。

しかし、父はこの古くて大きな家が大好き。

農業一筋で田んぼと家の往復で生きてきた父は、ここが本当の意味でお城だったのでしょう。

だから、亡くなる数日前までこの家で過ごすことができたのは、父にとって幸せなことだったのだと思います。

父を火葬場に連れて行く車と、私たちが乗ったバス。

ぼんやりしながら座っていると、細くて走りにくい山道を走りだしました。

「え?」本当は、ちゃんと広くて走りやすく、火葬場に近い道路があるのですが、バスと車はなぜかこの道を通ったのです。

不思議に思いました。

でも、すぐに理由が分かりました。

細い山道の向こうには、私のオンボロな家がある。

バスと車が私の家の前を通る時、スピードがゆっくりになり、ブーっと長い長いクラクションの音が聞こえてきました。

とたんに、私の目から涙がこぼれてきました。

私に、お母さんを頼むよと言ってくれた近所の方が、家が大好きだった父のために、あえてこの道を通るように手配してくれたのです。

もしかしたら、私は本当の意味でこのときに父の死を理解したのかもしれません。

父がいなくなって寂しい気持ちになるとき、周囲の方の思いやりを同時に思い出します。

25 女 葬式で複雑な思いをした

初めまして、りんごと申します。

自分の父を亡くし、お葬式をしたときのお話をさせて頂きたいと思います。

私が高校一年の、クリスマスの日に父が心筋梗塞で倒れ 次の日の昼ごろに息を引き取りました。

まだ高校生の私にはショックのデカすぎる出来事で、その後はなにもやる気もせず、食べる事も忘れ 抜け殻の様でした。

この時期のお葬式は年末年始もあるからか、お正月があけてからではないとお葬式があげられませんでした。

それまでは遺品整理や棺桶にいれるものを選別したりと大忙しでしたがお葬式が何日も先、というのは心の整理的にも複雑でした。

そして、年が明けてお葬式の準備が着々と進んでいきました。

参列してくださる方々に連絡をしたり 色々な手配もしたり。

母はもう、心ここにあらずな感じでそれを支えるように私と私の姉で動きました。

2人姉妹で、普段は仲は良くなかったですが こういう時の絆は凄いものです。

そして、お葬式の時になりました。

生前、父と関わった方々母方の兄弟(母方の祖父母は他界してるため)父方の弟さん、そのお嫁さんなどが参列しました。

母方の兄弟のほうは、実家も近く良く遊びにいったので顔はもちろん覚えていましたが

父方のほうは、小さい頃に一度きりしか会った事がなかったので顔も覚えてはいませんでした。

お葬式がはじまり、参列者の方々に挨拶をしていると

!!!!!

あれ、父親がいる。

いや、よく見ると父親の顔のそっくりな弟さんがいる。

生き写しを見ている様でちょっと怖かったですが会話をしてみると、父とはちがいおっとりしている弟さん。

ああ、やっぱり父は死んだのだ。

と改めて思いましたがお葬式の後のご飯の場で隣の席に座らせて頂きましたが、似てる似てる。

顔はまずそっくり。

年もそんなに離れてはおらず、体型も似ている。

話すと別人だと思えるけど 見た目だけはそっくりで、なんとも複雑でした。

これがすごく印象的でした。

双子の方が亡くなられた時とかは、そのご家族の方は複雑な気持ちになったりするのかなぁと、高校生ながらに考えていました

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