葬式の思い出:感動と感謝が交わる感慨深いエピソード

36歳女 祖母を亡くして気づいた事

祖母が四年前に亡くなりました。

私はおばぁちゃん子だったので出来る限りの事はしたと思っています。

ですが母は祖母との関係が悪く優しくできなかった事を亡くして初めて後悔していました。

母はお通夜、お葬式中「優しくできんでごめんね」「辛い思いばかりさせてごめんね」とずっと泣きながら祖母に向かい謝っていました。

祖母は体調を悪くして入院した頃から葬式はしなくていい。

骨も拾わなくていい。

と言っていました。

なので母以外の親族は派手な葬式はやめて質素な物にしようと。

お金の問題もあったのですが削れる物は削ろうと。

お花から棺、霊柩車等も一番安い物でと。

ですが母の後悔している姿を見ているとせめてお見送りだけは後悔しないようにさせてあげた方がいいのではと思いました。

最後のお別れと言う意味で…私が全て仕切り祖母の気持ちとは反するのですが一般的なお葬式の準備をしてもらう事にしました。

お仏壇もいらないと言っていた祖母でしたが残された側の気持ちで言うとやはり毎日思い出すし手を合わせて話しかけたいと言う気持ちがあったので小さいサイズですが用意しました。

今日はこんな事があったよ。

とか今日はお誕生日だね。

とか通じているかどうかはわからないですがそうしていると気持ちが落ち着きます。

祖父を亡くした時は私自身が子供だったのでそんな事は考えた事もなかったし大人が泣いている姿に不安を感じたりお葬式会場の雰囲気等が凄く怖く感じていました。

今思えば祖父のお葬式は言い方は悪いですが華やかだったと思います。

それはやはり祖母のお見送りする側の気持ちでそうなったんだと思います。

お葬式と言うのは亡くなった人の意思も大事だけどお見送りする側の気持ちが凄く大事なんだと思います。

お金をかけた方がいいとかではなく気持ちに一段落つける為のお見送りする側の為の儀式なんだと思います。

ですがやはり普段から後悔しないように人には優しく接する事が一番大事なんだと思うお葬式でした。

38歳女、葬儀で歌われた賛美歌に感動しました

30代後半の女性会社員ですが、10年以上前に祖母のお葬式に参列をしました。

祖母とは離れてくらしていたので、会うのは年末やお盆など1年のうち数回ほどでした。

祖母は助産師の資格を取得していたので、高齢になってからもボランティア活動をするなど、地元では大活躍をしていたようです。

確かにいつ会っても年齢を感じさせないほど明るくて行動派だったので、そんな祖母の葬式に参列することになるとは想像もしていませんでした。

祖母が住んでいた家の近くにある斎場で葬儀が行われるので、自分も親と一緒に参列をしましたが、その時印象に残ったことがありました。

祖母は仏教の東本願寺派を信仰していて、普段からお付き合いのあるお寺さんがお経をあげにきていました。

お経が読み終えられた後に、参列者がそれぞれ焼香をした後、故人に贈る言葉という時間がもうけられました。

遺族などが代表をして喪主が挨拶をしますが、その前に他の参列者も自由に言葉などを贈ることができます。

その時に、祖母が生前、ボランティアなどで仲良くしていた同年代の女性が数人、前に出てきました。

そしてその女性たちが賛美歌を一緒に声を合わせて歌い始めたので、最初は驚きました。

プロの声楽家のような声ではありませんが、祖母のことを見送るための、優しく澄み切った歌声で、思わず聞き入ってしまいました。

時間にすると2~3分ほどだったと思いますが、祖母の死を悲しんでいて、さらに安らかに眠ってほしいという気持ちが伝わってきました。

後から聞いたところ、祖母もボランティアなどで知り合った友達と一緒にコーラスに参加をして楽しんでいたようです。

離れて暮らしていたこともあり、生前の祖母のさいきんの生活などは全く知らなかったので、心がじんとくるものがありました。

友達に囲まれて、老後は楽しく過ごしていたのだとわかったら、とても嬉しくなりました。

そして賛美歌がとても心に響いたので、自分も歌ってみたくなりました。

28歳女お葬式で遺産横取りがばれて大揉め

はじめまして。

28歳の主婦です。

先日、葬儀に参加した際に起こった事件についてご紹介しますね。

これは、私の中で衝撃的で忘れられません。

今年の春、桜が咲き始めたころに夫の祖母が他界し、葬儀に参加してきました。

夫の祖母は、優しくしっかりとした女性でとても大好きでした。

家族中もよく、幸せそうだと感じていました。

祖母は、息子を若いうちに亡くしており、その息子さんのお嫁さんと二人暮らしをしていました。

血のつながらない関係でも、こうして一緒に住み、お世話をしていることにその関係性を尊敬していたんです。

しかし、葬儀が終盤に差し掛かり、その関係性がものの見事に崩れ去った事件が起きたんです。

食事会の最中でした。

お金にがめつい祖母の妹が遺産について聞いたんです。

すると、そのお嫁さんは・貯金・土地・その他の権利すべてを、祖母に内緒で名義を自分に変えた、と問い詰められ話してしまいました。

祖母の生前から、少しづつ名義を変えて自分のものにしていたようです。

運悪く、祖母も遺言を口頭のみで伝え、文章には残していませんでした。

当然、もらえると思っていた親族は憤慨、和気あいあいとしていた葬儀も一瞬にして殺伐とした雰囲気になってしまったんです。

祖母の孫たちも加担していることがわかり、「質の悪い家族!」「恥知らず」などの言葉も飛び交うお葬式となってしまいました。

祖母が大好きだった私としては、こんな葬儀は悲しく、これじゃあ祖母が浮かばれないと感じました。

私一人ではその場を収めることもできず、とても後悔が残ってしまう出来事でした。

このもめ事が起きたことで、お墓詣りやお盆に線香をあげに行くこともできなくなってしまい、今でも「天国で祖母はどう思っているのかな」と悲しくなります。

そんなことにならないように、自分の家族にはしっかりと遺言書を残すようお願いをしました。

お葬式の場面で、遺影や遺骨を前にしてもめ事を起こすなんて恥ずかしいと感じたからです。

皆さんも、お葬式でのトラブルが起こらないように、家族で前もって話し合っておくことをおすすめします。

52歳男葬儀スタッフの顔

こんにちは、シモヤンです。

自分はバイク中心とした旅好きなおじさんです。

バイクを通して知り合い、師匠とお呼びしていた方の娘さんが亡くなり、その告別式のお話です。

この年齢になると結構な数の葬儀に出るようになりました。

しかしながら心から涙して、自分の言葉足らずというか、何も言葉として声をかけられない無知を悔やみました。

心からお悔やみを申し上げました。

いつも明るく、初対面にやさしく手を差し伸べ、あるバイクツーリングチームのリーダー的存在の方。

40歳過ぎてからバイクの免許を取り、おどおどしながら、参加したツーリングで色んな事を教わり、人柄も尊敬に値する素晴らしい師匠。

ラインのバイクグループで知った、師匠の高校生の娘さんが病気のため亡くなったらしい。

各自でお通夜、告別式に参加するという。

自分は告別式に参加。

会場に行くと、娘さんの同級生、師匠の仕事関係と続々と集まり、会場いっぱいになってしまいました。

私が会場に入る否や、師匠が駆け寄ってきました、痩せて、小さくなった師匠が私の手を掴み、「急に亡くなって、忙しいのにスミマセン」と、言われた。

自分は我慢できなくて涙が出てしまう、でも言葉が出ない。

なんていえばいいのか?ただ、師匠の腕をつかみ返し、頭を下げるだけで精一杯でした。

遅くにできた娘さんで、自慢の子だったらしく、演劇部で活発な娘さんだったらしい。

式は式場のアナウンス役のおばさんが淡々とこなします。

この式場の方たちは仕事ですので、表情も変えづちゃんと仕事をこなします。

自分は娘さんの同級生が棺の中にお花を入れ沢山集まっているので一番後ろで立ってその様子を見ていました。

式も終わりに差し掛かり、師匠の挨拶が始まりました。

自分の横に立っていてクールに仕事をこなす葬儀場のスタッフ。

なんとなく気になりリーダー格のおばさんを見ていた。

挨拶の途中、感極まった師匠が、「親より先に行きやがって、買って来いよ!」と大声で悲痛の叫び声をあげました、私は我慢できなく涙とすすり泣きをしてしまう、周りの人たちもほぼ号泣に近い状態でした。

その中で淡々とお返しの用意をする式場のスタッフ。

リーダー格ののおばさんを見ると、泣きながら仕事をしていました。

自分もその姿を見て、また涙してしまった。

同じ人間だから、当たり前だよな、と思いつつ、我慢しなけりゃいけないと、我慢しきれない崩れた顔の式場スタッフの方に、なんか、嬉しくて、ありがとうと言いたくなりました。

感情移入してくれてありがとうm(__)mあんたい奴だよきっと。

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