大切な人の最期を迎える葬儀の瞬間は、人生の中でも特別なものです。喪失と同時に、その人がもたらしてくれた思い出や感謝の気持ちが心に交錯し、感慨深い瞬間となります。葬式の中には、その人の人生を讃え、想いを込めて送るための温かなエピソードが詰まっています。この記事では、そんな感動と感謝が交わる感慨深い葬式の思い出について、心温まるエピソードをいくつかご紹介しましょう。大切な人を偲ぶときの感情、そして深い感謝の気持ちが、どのようにしてエピソードとして刻まれるのか、一緒に見ていきましょう。
31歳女 葬儀でのクレーム
私は、現在介護士として働いています。
母と妹家族と2,5世帯の、6人と一匹で生活中です。
2016年夏、私の誕生日の前日でした。
「今日は研修だから少し早く帰るよ」と休憩の時にLINEを送ってきていた父が、帰宅直前に搬送されました。
心筋梗塞との事でした。
以前、母が冠婚葬祭の仕事をしていたときに互助会に入っていたので、葬儀場へはすぐに移動できました。
私は、ロウ人形のような大好きな父を目の前にして、受け入れたくない気持ちと、理解した上で、家族を落ち込ませないようになるべくしっかり明るく振る舞おうとしました。
葬儀にしても父がお世話になった人が来てくれる、家族を大事に本当に優しかった父自身を、こういう人だったんだよと他の人にも理解してもらえるような「パパの為の最善」だけを考えていました。
思い出の品や好きだった物を置けるスペースに、亡くなる3ヶ月前に作った家族のアルバムを置いてもらいました。
事前に渡してあった写真と音楽で、フォトムービーを作成して頂き、葬儀の最後に流して頂きました。
「いい加減にして!パパの葬儀を失敗させたいの!?」と子供の様に母は地団駄を踏んで泣きじゃくりました。
葬儀前、キャンペーン中入会特典として出来るはずの生花葬の契約内容が変更になったと言われ、母は泣く泣く諦めようとしていましたが納得がいかなかった私と妹は葬儀業者の本社に確認の電話を入れました。
対応してくれていたスタッフの方は、母と一緒に働くこともあったらしく常に上からものを言う様子で、私たちの質問は完全スルーで話を聞いて貰うこともできませんでした。
別の若い男性スタッフは、式の合間や火葬中に喫煙所におり挨拶をするでもなく笑いながら立ち去って行きました。
3人いるはずのスタッフは知らない間にいなくなっており、100人以上の方が来てくれたのにも関わらず、母は挨拶に周り、私と妹は場所を案内し、というバタバタに見回れてしまいました。
父の為の葬儀なのに、クレームを3回も出してしまいました。
自分に余裕がないからこそ、前もって家族と話合っておく事が必要かもしれないと思いました。
最後に、棺桶の蓋を閉じる直前に入れようと思っていたバナナを入れ損なった事が心残りです。
49歳女許せなかった父とのお別れで涙が出た
父のお葬式は身内と数えるほどの友人だけで静かに執り行いました。
家族葬と呼ばれているここ数年人気のお葬式でした。
こぢんまりとしたお葬式だったけどみんな父に会いに来たくて集まった人ばかりで余計な気を遣う必要がない良いお葬式でした。
父が亡くなるとき母の元にはいませんでした。
はっきり言うと愛人宅に父は長年住んでいてガンになってからの通院治療も家で最後の時を過ごすのも全て愛人宅でした。
母のところに最後くらいは帰ってくると思って待っていましたが、一人で歩ける状態の時何度か母のところにいた父ですが、泊まることはせず必ずその日のうちに愛人宅へと帰っていたのです。
ガンになってやせ衰えていく父を見ていて心配でした。
父は若い頃から内蔵系の病気にかかりやすく何度かガンを患い手術しています。
その後回復すると仕事を再開していた父ですが亡くなる3年くらい前からは仕事を辞めて療養していました。
その療養生活が愛人宅だったことから私たち家族は心にしこりを持っていたのです。
お葬式は母は父と離婚していなかったため私たち家族で執り行いましたが、母はなかなか涙を見せませんでした。
平気な顔をした家族を見て私も平気な顔をしていました。
しかし葬儀が進み父が寝ている棺桶に花を置いていると母が大きな声を上げて泣き出して・・・。
父は頑固一徹のような本当に怖い人で、子供時代はびくびくしながら暮らしていました。
母も父からの暴力を受け心にも体にも傷を負いました。
だから許せない気持ちがあったのに母が泣き崩れるのを見て私も涙をこらえることが出来ませんでした。
どんな人でも母にとっては夫だったのですね・・・。
そして私たち子供にとってまぎれもなく父親だった。
最後のお別れ・・・火葬場に向かう前、父との本当のお別れは悔しくて悲しくて情けなくて心がぐしゃぐしゃ。
こんなに泣けるはずがないと思ったけど、あのときあの場所で泣いておいて本当に良かったと今は思っています。
20歳女お葬式のお坊さんがとてもロックだった
私がお葬式で見たエピソードについてご紹介していきたいと思います。
私が初めてお葬式に出席したのは、高校生の時でした。
その時亡くなったのは私の祖父で、とてもしんみりとした気持ちに包まれていました。
お葬式に来たのは親戚だけの、こじんまりとしたものでした。
そこにお坊さんが来たのですが、このお坊さんがかなりの曲者だったのです。
まずお焼香から初めてで、どうすれば良いのか分からずに緊張していたのですが、お坊さんがお経を読み始めてから驚きました。
なんと、指をパチパチと鳴らし始めたのです。
まるでバンドマンがカウントを取るときのように、パチパチと急に鳴らすので、とても驚いてしまいました。
思わず隣に座っていた兄を見たほどです。
どうしてそんな事をするのか、それともこれが普通なのか。
その時の私には分かりませんでした。
それが気になって気になってお経の声など入ってきません。
お焼香の番が来ても、ぽかんとしたままでした。
また、お坊さんに関係する話としましては、お経を読み終わった後に、私たちにお話をしてくださるのですが、その内容が一風変わったものでした。
それは、そのお坊さんが事故にあった時の話をしたのです。
どうやら、自転車に乗ってる時に、急ブレーキをかけたのは良いのですが、そのまま体ごと前に投げ出され、顔に大きな傷を負ったというのです。
その跡も見せてもらったのですが、その時漠然と疑問が浮かんできました。
普通、自転車でそれほど大怪我をするものなのだろうかと。
接触事故を起こしたのならまだしも、普段の道路を走っていてそうなるのでしょうか。
お坊さんの話を聞いていると、なんだか親近感が湧いてくるようでした。
お葬式と聞くと堅苦しくて悲しみに満ちた場だと思っていました。
ですが私にはその時のお坊さんのインパクトが強すぎて、今でも忘れられません。
お経を読む側、どこかロックで破天荒なお坊さんの一面を見た瞬間だったなと思いました。
36歳女 沢山の警察官の方が敬礼をしていた
私には大学生時代、親友と呼べる男友達がいました。
彼は大変努力家で、社交的で優しくて、女友達のようでした。
知り合った場所はバイト先でしたが、家が近かったこともあり、一緒に帰ったりしているうちに仲良くなりました。
その彼が、交通事故で亡くなりました。
友達になって8年後の6月の夜です。
彼が亡くなったことを、私はニュースで知りました。
何故なら、彼は警察官だったのです。
努力家の彼は、元々心臓が弱く、いつも試験の最後の身体検査で落とされていました。
身体を動かす仕事に就きたいと、消防士を受けたこともあり、頭がよく勤勉な彼は簡単に試験を突破し、消防士にもなりましたが、警察官への憧れは捨てきれず、消防士を辞めて警察事務と警察官の両方の試験を受けたりしていました。
大学を卒業してから、バイトをしながら独学で試験勉強をし、警察官も消防士も警察事務も、ほぼ100点に近い点数で試験をクリアしてきた彼が、3度目の挑戦で夢であった警察官になった時のことは忘れられません。
身体検査にどうしても引っかかってしまうけれど、体力もずば抜けて成績の良かった彼はこれまでの努力と経験を評価され、無事警察官になったのです。
6ヶ月の研修を終え、配属先の交番に勤めはじめて2ヶ月。
よくバイクに乗っていた彼は非番の日に対向車と接触しトンネルの壁にぶつかって亡くなりました。
心臓が弱かったことが彼の死を早めたのではないかと思いました。
彼のお葬式では、御焼香の時に、200人程の警察官の方が来られ、一糸乱れぬ列を組み、順番に敬礼をされていました。
彼がどれほど期待されていたのか、それだけで十分伝わってくるものがありました。
そして、警察官という職業の方が交通事故で亡くなるということをしてはならないと胸に刻んでいるようにも見えました。
人間なので、どうしてもミスはするし、警察官も時に弱くもなります。
でも、全てを受け入れて彼の死に想いを込め伝えてくれた警察官の方々の姿と、これまでの彼の努力を近くで見させてもらった私にとって、彼のお葬式は忘れられないものになりました。
43歳男性 手順が分からず‥最後はもくぎょを叩いてしまった‥
初めまして都内に住む男性です、私のお葬式で印象に残ったエピソードをお話しさせて頂きたいと思います、宜しければ最後まで聞いて頂ければ嬉しく思います、では。
この話は2019現在から十数年も前の事です当時私は小学生3年生でした、私は幼少期の頃は凄く手のかかる子供で学校が嫌いで行きたくなくて逃げ回っていました、しかしこれには訳がありました‥私は幼稚園児の頃に一人の子からイジメにあっていてそんな体験が小学生になってもトラウマ的に残っていて、またいつイジメに遭うか分からないという恐怖感があったのです。
私は毎朝自宅から小学校に向かう時、学校に行くのが嫌でしたから決まって向かう場所がありました、そこは近所のおばさんが働いている小さな会社でした、何故私がこのおばさんの所に行くのかというと、おばさんは私が赤ちゃんの時から私を可愛がってくれ、幼稚園でイジメに遭って泣いて帰ってきた時もお菓子やジュースをくれて大丈夫だよ!負けるな!と言って励ましてくれたりしたからです。
おばさんは小学生になった私にも以前と同じように可愛がってくれ、私は学校に行くよりおばさんと会って話をしているほうが楽しくて安心も出来ました、しかし‥私が小学生3年生の時におばさんは急に亡くなりました‥原因は脳溢血だったそうです、私はショックで大泣きした事を今でも鮮明に覚えています。
そして、数日後私は親に連れられておばさんのお葬式に出席しました、おばさんは棺桶の中に入っており覗くとおばさんは生きていた頃と同じように優しい顔で眠りについていました、私は自然と流れてくる涙を拭いながらお線香の順番を待っていました、しかしこの時です‥私はお線香をあげた後に何やら動作をしてチ~ンと鳴らしている大人達の姿を後ろから拝見していましたが、どういう手順でやれば良いのか全く分からない事に気がついたのです‥。
しかしそんな事を考えているうちに私の順番が来てしまいました‥私はまずお線香をあげる事だけは分かっていましたから、お線香をあげました‥しかしその後が全く分からないので‥とにかくチ~ンと鳴らして手を合わそうと思い、私は鳴らす為の棒を手に取り、右側にあった何やら音が鳴りそうな物体を叩きました‥しかし次の瞬間会場内にコンッ!という音が響き渡りました‥、そして次の瞬間会場内が笑いに包まれました‥。
何故笑いに包まれたのかというと、私が叩いてしまったのはお坊さんが叩くもくぎょ?だったのです‥、私は子供ながらに恥ずかしくなりましたが最後に棺桶の中にいるおばさんにありがとうを伝える為にもう一度覗きました、すると‥先ほど見たおばさんの顔が変わっていました‥ナンと笑顔になっていたのです‥私は周囲の大人達におばさんが笑ってる!と伝えると、大人達はお前が面白い事したから笑ってるんだよ!と言ってきました。
私はこの時おばさんにありがとう、頑張るからね!と伝えてお別れしました、この先もおばさんの事は忘れる事はありませんし、これからも自分なりに頑張って生きていこうと思います、以上で私の印象に残ったお葬式のエピソードをお話しさせて頂きました、最後までお付き合い下さりありがとうございました、それでは。